村ステイ

首都から車で南に30分、Komsilgaという村に3泊4日で行ってきた。


読みたい本、終わらせたい作業、やりたいことがいっぱいあるけれど
せっかくの「村ステイ」だからいつもと同じことをしてはもったいないと思い
本を一冊も持たずに、ノートと辞書とボールペン、
折り紙、お世話になる人へのお礼の物など、荷物を極力少なくして行った。


2年ほど前、ブルキナに来たばかりの頃にした村ステイでは
かなり暑くて大変だったので、涼しい服ばかりを持っていったら
朝晩はすごく冷え、一日目にさっそく風邪をこじらせ、
長袖のパーカーを持ってこればよかったとすごく後悔した。


お世話になったマダムは村の助産師で病院で働いている。
村の人たちも小学生以上の人はみんなフランス語が話せた。
本当はフランス語をあまり話さずに現地語でコミュニケーションした方がいいかな、と考えたけど
いろんな話をしていろいろ知った方がおもしろいだろうと思い直した。


2年前とちがって現地語も少しはわかるし
フランス語でのコミュニケーションにも慣れて
同じ「食べなさい」でも食べるべき時と断るべき時がわかったりして
2年の間にいろいろ呼吸がつかめるようになったんだなと感じた。



1日目は昼前に村に到着し、近くの池にワニとバオバブを見に行った。
マダムと少し遠くの市場に行って買い物をして、
村の人たちとしばらくおしゃべりをし、食事の支度を手伝った。
マダムは胸の大きな人で、右胸は5000フラン以下、左は5000フラン以上というふうに
下着を完全に財布として使っていたのがおもしろかった。



2日目は一日中小学校にいた。
4年生のクラスで生徒が82人もおり、先生は一応二人いるけど
一人は後ろに座ったまま何もしていないようだった。
午前中は国語(フランス語)と算数の授業を見学した。
授業は1時間ずつで休憩なしに続けていたから集中力を保つのが大変だと思った。
全体としての休憩はないけど、それぞれ必要になったら先生に許可をもらってトイレに行くようだった。
優等生と落ちこぼれの子の学力の差がすごいと思ったのと、
一番身なりのいい子でも日本だったら「ボロボロの服を着たビンボーな子」だと思われるんだろうなと感じた。


午後は一時間使わせてもらって切り紙をおしえた。
折り紙を三角に小さく折り、切って開くときれいな模様になるというもの。


初めに、折り紙は日本の伝統文化ですよ、という説明をして
「正方形」を折ると「長方形」になり、どんどん折ると「三角」になるという
図形の名前を言わせるところまではよかった。
紙やはさみ、ノリを配るととりあいになり、
押しあいへしあい、ケンカも始まり、大騒ぎになって申し訳なかった。
工作を大人数でするのは相当難しいということがよくわかった。


それでもなんとか最後までいき、白い紙に切った折り紙を広げて貼り、
それぞれ名前を書いてもらって、教室の壁に貼った。
折り紙を開いた時の子どもの表情と「きれい〜!」という声が印象的だった。
殺風景だった教室の壁にカラフルな折り紙が貼られて少しうれしかった。


村に帰ってきて近所の子ども数人にカエルの折り方をおしえた。
数人が相手だとほっとする。
ぴょんっとカエルが跳ぶと大人も子どもも驚いた声を上げたあと笑い出してかわいかった。


この日はマダムの病院で4人も赤ちゃんが生まれた。
大体ひと月に10人らしいから、今日はすごく忙しい日だったらしい。



3日目の朝は一段と冷え込み、マダムも寒い寒いといってお湯をわかしてくれて
「コーヒーを飲んだら寒さがどっかいくわよ」と言って
リプトンのティーパックと練乳をくれた。「コーヒー」の定義の広さにびっくりした。


ちょっと風邪がひどくなったので横になってテレビを見ながら折り紙で小箱を折った。
この村は首都から車で30分ほどですごく近いとはいえ「村」だから電気がないかと思ったけど
エネルギー省の偉い人がこの村の出身だから電気が通っているらしい。
電気会社としては人口が増えてからでないと採算が合わないはずだけど
そんなのお構いなしで電線をひいたらしい。


テレビでは女性器切除の映画をやっていた。
ブルキナでは女性器切除は禁止されているけどまだ完全にはなくなっていない。
お祭りで切除された女の子たちがダンスをして祝福を受けているシーンは
迫力のある歌と太鼓で、その場にいたらいっしょにお祭り騒ぎを楽しんでしまいそうだと思った。
切除後、出血が止まらずに死んでしまったり、病気になったり、
出産の時に切開しないといけなくなることもあるらしく、
そういうシーンをモザイクとかの配慮なしに映すので大分きつくて見てられなかった。
有名な歌手が主演で、エンディングで「切除〜切除〜しないで〜イエ〜」と歌っていた。


お昼前、薬剤師のおじさんと三日に一度開かれる大きな市場に行った。
このおじさんは事あるごとに「フッフーン」とうれしそうに笑うのでこっちまでうれしくなってしまう。
市場ではたくさんの人とおしゃべりしたり、いろいろ飲んだり食べたりした。
おばちゃんたちが「この人(薬剤師)すごくいい人よ!ブルキナに残って彼と結婚しなさいよ!」
とからかってきたので「彼は結婚してるでしょ?残念だけど」と言うと
おじさんは「残念だけどだって!フッフッフーン」と豪快に笑ってうれしそうだった。


夕方、マダムとごはんの支度をしながら話をした。
マダムは親友だった女性に旦那をとられて離婚したので今は一人暮らしで、
今の恋人も、結婚はしていないけど奥さんと子どもがいるらしく、
「アフリカでは女性が一人で生きていくのはすごくつらいのよ」と言っていた。


その後マダムの恋人が訪ねてきて、マダムが「家の中にいたかったら全然いていいのよ」
とくしゃっと笑って言うので逆に入りづらくなって、外に行って星の写真を撮った。
あいかわらず星座はオリオン座くらいしか知らないけどたくさん星が見えて美しかった。
写真はカメラに詳しい人に聞きながら試行錯誤してみたけど上手くいかなかった。


結局、家に帰ってマダムとその恋人、私の3人でいた。
恋人がふざけて私に電話番号をしつこく聞くので
「絶対おしえちゃだめよ!あなた、なんでそんなに聞くのよ!」とマダムは半分くらい本気で怒っていた。
2人がちょっと席を外したすきに寝たふりをして、そのまま眠った。



4日目、5時半に起きて朝日を見にいった。
きれいな朝焼けは見れなかったけど、6時半くらいにやっと昇った太陽はきれいだった。


朝は水汲みを手伝った。
20リットル入るタンクを2つ、一輪車に載せて水道のあるところまで15分ほど歩いて行き、
タンク1つ10フラン(2円)お金を払って水を入れてもらう。
初めはそんなに重くないと思ったけど、運んでいるうちにどんどんきつくなった。
しばらく手がプルプルしていた。これを毎日するのは大変なことだ。
家に着くと一輪車から降ろすのでもっと大変で、
私は1つ持って移動するのがいっぱいいっぱいだけど
メイドの女の子は片手に1つずつ持って運べるし
大きなバケツに水を空けるために持ち上げるのもひょいっとする。
やせっぽちなのに本当にすごいと思った。


彼女は14歳で実の母は離婚して追い出されたので
義理の母と暮らしていて、メイドとして月に4000フラン(800円)稼ぎながら夜間の学校に通っている。
こういう子の暮らしを良くするにはどうしたらいいんだろう。
家事の手伝いをして、いっしょに折り紙をし、
いらなくなった服や髪留めをあげるくらいしかできなかったけど
彼女の生活の一部を体験できたのはすごくよかった。


昼頃、昨日亡くなった人の埋葬を見に行ってきた。
亡くなった人は家長だったので住んでいた家の目の前に埋葬された。
10人がかりでスコップを持って穴を掘って埋め、1メートル以上の山にしていた。
山が完成したあとスコップをポイッと放っていて、なんとなく明るさを感じた。
通常人が亡くなると3日後と1年後に葬式をやるらしく、
村長さんらしき人が葬式の日時をみんなにむかって言うとなぜか笑いがおこった。
現地語だったからよくわからないけど、
日本だったらよっぽどおもしろいことになっても笑ってはいけないと思うけど、
もちろん悲しんでいる人もいるだろうけど、
日常の中に人の死というものがあって、自然に受け入れているのかなと感じた。


昼からは近所の子どもたちと折り紙をして、
最後にお礼のあいさつとプレゼント、写真を撮ってお別れした。


コップ4杯で髪の毛を洗えるようになったり、夜に真っ暗な穴のトイレに行ったり
そういう生活も無理ではないと思ったけど
家に帰ったらやっぱりほっとして、真っ先にシャワーをした。
村は首都からたった30分の距離だけど、
帰ってきてみると道を行く人々の服装がきれいに見えたり、
人とすれ違ってもあいさつしなかったりというのがやっぱり他人に囲まれた都市での暮らしだと思ったり、
いろんな違いを感じた。
2年間村に住んだら、と思うと少しうらやましい気もするけど
首都で暮らしたことで人間関係も広がって、情報を得る量も多く、得たものも大きかったと思いたい。
残りの任期20日間、21日後にはもうここにいないかと思うと不思議な気分で
実感ががわかないけど、できるだけ心残りのないようにブルキナを味わいつくしていこうと思う。