教育

最近知り合ったブルキナ人と話していて、すごく感動した。


農村の子どもを支援するNGOを立ち上げたばかりの人で、
空港で通訳をしていて英語が堪能だから
フランス語でわからないときは英語で説明してくれる。


この農村での支援の仕組みのミソはいくつかある。

一つは、子どもに教育の機会を提供するということ。
一日に35フラン(7円)づつ積立てると一年で35F*30日*12か月=12600Fになる。
35フランは普通に働いている人にとってはとるに足らないお金だから
知り合いを中心に声をかけてお金を集める。


「支援に頼らなくても自分たちで国の貧しい人たちを救っていけるんだ。」という。


このお金を子どもの教育費(小学校は無償教育だけど年に1500FほどPTAに払ったり、ノートやペンなどを買う)にする。


なぜ教育か。ときくと、
「教育は人をつくる。教育はすべての開発・発展の基礎だ。」
こういう言葉を最貧国の普通の人の口から聞くととてもうれしくなる。


もう一つのミソは、街にいるニートの雇用だ。


ニートはブルキナファソにもいる、というかブルキナ人に話したら「豊かな」日本にもいるということの方が驚かれるだろう。


街でよく見かける、「ただ座ってる人」。
働く気があっても職が圧倒的に不足しているのだけれど、
親がなんとか食べさせてあげれるから最底辺の仕事(ごみ集め、物乞いなど)をしなければいけないインセンティブがはたらかない。


そういう人に声をかけて、もし「する」と自主的に言うならば
農村で先生になってもらい、識字教育を中心に教育をする。


学費は生徒一人につき月500F集める。
月に500フランなら教育を受けたいと強く望む子どもは
なんとか働いたりして払えるはずの額だ。
そうして集めたお金でまた別の子どもを支援する。


先生は農村の一家族に入れてもらい、食・住には困らないようにする。


「ただ座って一日を過ごしている若者に、自分次第で人生は変えれることをわかってもらいたい。」と語る。どこかで聞いたよ、と思うかもしれないけど、実際にそのためにプロジェクトを立ち上げ、動いているのをみると感動する。


そして最後に、彼自身も将来農村で暮らしたいという。
なぜかというと、農村の人によりよいライフスタイルを見せたいのだそう。


「学ぶ」は「まねぶ」からきている言葉だというが、
真の教育者は言葉を尽くしていろいろなことを語ったり
生徒を叱咤激励をしたりするのではなく
ただ自分の生き方を「見せる」だけなのだろう。


井戸があれば乾期にも困りませんよ、と言うのではなく
自分がそこに住んで井戸を掘って使う。


それを見た人たちが、「あの人は全然お腹を壊さないし乾期にも困ってない」
「雨水を貯めるより井戸の方がいい」と自然に思い、そのために努力を始める。


農村は貧しい、とはいえ喫煙者もいるし、バイクを乗り回す人だっている。
喫煙者にタバコを3分の1に減らすだけで一年でこれだけのお金が節約できる、
と計算して見せてあげたら驚くことであろう。


ともかく、彼の他者への愛に感動し、圧倒された。


帰り道、前を走ってた人のTシャツの背に書いてあった言葉が胸に残った。
"Educateur est acteur du développement"
(教育者は開発の立て役者である)