交差点で考える社会保障

毎日、自転車で通勤している。
片道30分の距離の間にはいくつも交差点を通過するのだが、
毎朝必ず赤信号にひっかかる一番大きな交差点には必ず何人かの物乞いがいる。


老人、障害者、子ども、顔ぶれは日によって違うが、大抵何回か見たことのある人がいる。


以前、ときどき子どもに折り鶴をあげると書いたが、
さすがに大人にはあげられない。
かといって毎朝お金をあげてたらこっちがもたない。


すごく悲しそうな声を出して「ア〜」といって手を出してきたり、
手をみたら指が一本もなかったり、
子どもが無言で見つめてきたり、
そういうのから目をそらして、無視して、あるいは断ってその場を離れるのは
逃げているような、後ろめたいような、どこか腹立たしいような気持ちになる。


Elton Johnの"Your Song"の中の言葉、
"How wonderful life is while you're in the world"
(なんて人生は素晴らしいんだ、君がこの世にいるのなら。)
すごく好きだけど、この"you"には社会的に含まれてない人たちがいる。



ブルキナファソの小学校には特別学級がなく、
進級試験や卒業試験に何回も落ちると退学になる。
卒業試験で極端に低い点数をとっている生徒がけっこう多くいて、
同じオフィスの人に聞いてみたら、
特別学級があればいいのに、こうやって試験に落ちて退学になって
将来何もできない子どもがいっぱいいる、と言っていた。


私が通っていた中学校には特別学級があったけど、彼らは何をしていたんだろう。
絵を描いていたのは見たことがあるけど、勉強もしていた気がする。
どの程度の障害なんだろう。卒業後何をするんだろう。
仕事に就くのか、働かなかったらどの程度生活が保障されているのか。
部活の顧問の先生が特別学級の担当だったのに
そういうことを意識して考えたことがなかった。


ブルキナに来てから、日本でこれはどうなっているんだろう、
と日本のことが知りたいと思うことが増えた。
今は便利な世の中だから日本に帰るまでその疑問をとっておかなくても
なんらかの方法で答えが見つかるだろう。


日本のいいところをお手本に
直接じゃなくてもいいから、自分のできる範囲内のことで彼らに対して何かアクションを起こしたい。