問題か、問題化か

以前、「客観」という言葉について書いた。


「特定の価値観をもった人間が、別の価値観で暮らす人々を見てああだ、こうだというのは決して「客観」ではない。」

それを実感する場面があった。



ある小学校の「食堂」で給食を準備している光景


これを見てひどい状態だと感じた。
統計担当者と話す中で、何が問題か聞いてみた。


「壁や床がひびだらけだし、穴も開いている。窓も壊れている。」という。

衛生面での問題を聞くと

「天井に穴が開いているているから雨が入ってきてよくない」という。


「机はいらないのか」と聞くと

「あぁ、砂埃が入ってよくないから机が必要だ」という。


この時、自分のした質問をものすごく後悔した。
答えを導いてしまった。


はっきりいって、日本の恵まれた学習環境の中で育った私にとっては何から何まで問題だらけだ。
調理台がないし調理器具がそろっていない、
砂埃が入り込んでいる、
食事の栄養バランスが悪い、と挙げたらきりがない。
けど、私にとって「問題」だからといって、この人たちにとっても「問題」だとは限らない。


そもそも統計担当者ではなく教師や生徒に聞くべきだった。


その場にいる人たちにとって何が問題なのか。
第三者が勝手に「問題化」してはいけない。