「客観」という暴力
地面を触った手でパンを食べるのを見て「汚い」と思うのは、そうしてはいけないと言われて育ってきた人が、そうでない人と出会っただけのことで、
「汚い」のは「事実」ではなくて「感想」でしかない。
もしかしたらそうして少しずつばい菌に体を慣らすのは必要なことなのかもしれない。
特定の価値観をもった人間が、別の価値観で暮らす人々を見てああだ、こうだというのは決して「客観」ではない。
それを忘れたくない。
地面を触った手でパンを食べるのを見て「汚い」と思うのは、そうしてはいけないと言われて育ってきた人が、そうでない人と出会っただけのことで、
「汚い」のは「事実」ではなくて「感想」でしかない。
もしかしたらそうして少しずつばい菌に体を慣らすのは必要なことなのかもしれない。
特定の価値観をもった人間が、別の価値観で暮らす人々を見てああだ、こうだというのは決して「客観」ではない。
それを忘れたくない。