子どもと税金と私

子どもが三人、空き缶を持って寄ってきた。


「マダム」「マンジェ(食べる)」「マダム」


学校に行ってないらしくフランス語は数単語しか知らない様子。

少し思うところがあって、100フラン(20円)ずつあげてみた。



少し行くと大人の男の人が声をかけてきた。
「日本人の友達がいるんだ!」とにこやかだ。


少し話をすると急に早口で
「ドリ(地名)に帰らないといけないのにお金がないんだ。
食べるものも寝るところもない。ここには頼る人もいない。
ドリに帰ったら必ずお金を返す。名前も電話番号もおしえるから」
といかにも哀れな顔で事情を説明し始める。
バス代の6500フラン(1300円)くれ、と。


断っていると3500フラン(700円)でいいからくれ、と言いだした。
とにかく断った。
この日は高級イタリアンで集まって食事をする日だった。



先日、オフィスで「なんで日本人はお金をやらないんだ」と聞かれた。

「ブルキナベ(ブルキナファソ人)は貧しい人にお金をやる。助け合う。
日本人はお金をやらないか、周囲に日本人がいないのを確かめてからそそくさとお金をやる。」
という。イスラムでは喜捨の習慣があるし、普通のことらしい。
「お金をあげたり貸したりするのはよくないことで、友達でもめったにしない」と言うと驚いていた。


以前、100円均一で買い物をすると労働に見合わない低賃金で働かせる企業を支援することになる、と聞いた。
「買い物は企業への投票」のようなカードを配るNGOもある。


子どもに100フランあげると、それでその子がごはんを食べ、そしてまたお金をもらいに来る。
そのサイクルを促進することになる。
「この前はくれたのに今日はくれないのか」
これに答える術を知らない。



自分のお金だったら自分の判断であげればいい。
けれど私の財布には税金が入ってる。
自分にコーラ(400フラン)を買うのと、四人の子どもがごはん食べるのだったら後者の方が有効な使い方なのでは。



では、あの男の人は。
100フランはあげてもいいけど3500フランはあげないのか。
ごはん代はいいけどバス代はだめ、その根拠は。
線引きは恣意的で線を引く側のさじ加減による。



子どもも男の人も、実際お金を何に使うかはわからない。
彼は本当にドリに帰るためのお金が必要なのかもしれないし、帰ったらまた仕事ができるようになるのかもしれない。
いつもやってる物乞いビジネスかもしれないし、
たまたま日本人はお金を持ってそうだからダメ元で言ってみただけかもしれない。


情報がないと判断できないけれど、
事情を聞いたところで「それならあなたにはあげません」と断れるかわからない。



実際、私一人があげてもあげなくても大して変わらない。
こうやってごちゃごちゃ考えるのとお構いなしに突き出される手と
これから何度向き合わなければならないのだろう。